宮本卯之助商店

まっすぐだったから、今がある

神輿部 部長 − 1977年入社

宮本を選んだ理由

親子二代、宮本で

親父が宮本で働いていたこともあり、近所に住んでいたので子どもの頃からよく遊びに来ていたんです。生まれも浅草ですから、職人の世界が当たり前に日常にあったんですよね。中学に入った頃から、夏休みに入ると手伝いをしていました。高校生になると、夏休みだけやって来る大学生のアルバイトを仕切って仕事を回していた。そんな状態だったから高校を中退して、宮本に入りました。
この仕事が好きだという自覚はかなり早くから持っていましたし、今も仕事が大好きです。

仕事の難しさ・やりがい

まっすぐに教えることの難しさ

やはり僕が思うのは、いかに屈折しないで後輩たちに教えるかということですよね。まっすぐ教える。技術というのは後輩に伝言していくものだから、その伝言の内容が少し違うだけで途端にまっすぐ伝わっていかなくなる。太鼓や神輿を扱う会社が潰れていく中でうちが残れたのは、ちゃんと伝言できたからですよ。でもこのまっすぐに教えるということが一番難しいんです。
たくさん仕事をしましたが、平成7年から8年にかけて浅草神社御本社神輿の大修復を行ったのが印象に残っています。当時はまだ親父も健在だったので、親父と一緒に大きな仕事ができたことが嬉しかったですね。

今後実現したいこと

たくさんの職人に支えられて神輿は完成するから

神輿は20種類くらいの職人たちが、それぞれに仕上げたものを組み合わせて完成する。僕らのところで組み立てて仕上げていくのだから、職人たちの意図と気持ちを大切にしながら作業していかなければいけないと常に思っています。
特に修理の仕事は、もう廃業しちゃった職人が造った神輿が来ることも多くてね。職人たちは70代、80代と高齢になっていますし、後継者が育っていないところも多いです。でもそれで諦めていては神輿が完成しなくなってしまう。若い人を育てたり、仕事ができる人を探すことにも力を入れなければと思っています。

未来の仲間となる皆さんへ

今の若い人はというんじゃなくて、僕はその子がいいか・悪いかで判断する。今の人がダメだとか、昔の人がいいなんて思わなから、とにかくものづくりが好きな人に来てほしい。何かに夢中になっていて、気付いたら朝だったくらいじゃないと務まらないと思う。やはり集中力が必要な仕事ですから。自分の仕事に夢中になれる人に来てほしいですね。
神輿を担ぐ側から造る側になったら祭りの日が忙しくなり、自分が祭りを楽しむ余裕がなくなりました。神輿を見ると壊れたところはないかとか、そんなことばかり気になっちゃう。職業病ですよ。

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